一貫指導においては指導者の果たす役割が非常に重要だといえます。競技者を発掘し、育成し活躍させる事に直接かかわるのが指導者であり、選手の可能性を伸ばすのも潰すのも指導者次第です。指導者の役割は選手の可能性を摘み取ることではなく可能性を伸ばし次のステップへ繋げていくことであり、このような観点こそ一貫指導に望まれる指導者の持つべき基本的資質であります。
不透明な時代と言われているが世の中のこのような流れと同様、世界のバレーボールも時代とともに刻々と変化、進歩しています。指導者にとって重要なのは「学ぶ事をやめれば教える事もやめなければならない」という気構えでありこの点も一貫指導に望まれる指導者の基本的資質と考えられます。
これまでに我が国における競技スポーツ界では一般的に個々、人の経験依存型の職人的指導が中心であり、そのような指導者のチームや選手が国際的・全国的規模の大会において成果をあげてきたことは否定できない事実です。しかし、近年、国際的にも全国的にも競技力向上に向けての取り組みは極めて高度化し、これまでのように狭い視野の指導者ではとうてい対応できない状況に至っていることは、近年のオリンピック等における我が国の国際的競技力の低迷を見ても明らかです。我が国を代表するチームや選手の指導者(特に監督になどの統括的指導者)には当然のことながら本人自身に高い指導者としての資質を求められるが、更に各分野の専門家による支援グループまたはコーチ陣を編成してあらゆる可能性を追求できる条件整備を図る事により総合的・積極的視点から競技力の向上に取り組む能力が必要となります。従って今後の指導者は、技術指導の研鑽はもとより、スポーツ社会学・スポーツ心理学・スポーツ医学・スポーツ栄養学・トレーニング科学・スポーツマネージメント・情報科学等の幅広い知識・技能を修得することが必要不可欠です。
また、生涯スポーツ指導者のあり方が問われているところであり、スポーツ実施者それぞれの実施目的や体力、性、年齢、関心、技術、技能レベル等に応じた合理性・科学性・に基づく指導が求められています。
スポーツ指導は人と人とのコミュニケーションであり「技」や「心構え」を言葉や数値で表現する事は難しく、そこでは「勘」や「感覚」に頼らざるを得ない事が多く、一方「勘」や「感覚」だけの指導では誤解や間違いが生じやすく技術の伝達が難しいばかりでなく主観だけでは新しい概念の形成が困難なために技術や戦術の開発に遅れをとることになります。さらに、現在の高度化した競技スポーツを指導するには客観的に現状を分析し理解する事が必要で、そのためには「数値」や技術・現象を説明するための高度に整理された「ことば(用語)」が重要となります。スポーツ指導では主観性と客観性の両方が要求されるのです。
日本の指導現場では主観的な指導がウエイトを占めてきたが、この原因のひとつとして指導者間で共通で高度に整理された技術用語が不足してきたことがあげられます。
用語を整理、定義してその用語を使って同じ視野から指導者同士、または指導者と選手間でコミュニケーションを図る事ができれば、これまで以上にバレーボールの技術・戦術の進化が期待できるし、更に指導現場での曖昧さが解消され、進学などによって指導者が変わった場合でも選手は練習に専心できる環境が整うでしょう。
選手との相互理解のためには、選手の過去・現在を考慮する必要があります。何か問題があれば選手の過去・現在を十分に検討し、問題に対して丁寧に対処すべきでしょう。特に、現在社会の中では選手を取り巻く環境は複雑化しておりバレーボールの技術面だけでなく精神面、栄養面や場合によっては学力面や家庭の問題などプライベートな問題にいたるまで一つ一つ根気よく解決していくことが現在の若者を育成していく上で重要です。
また、指導者は選手の可能性を伸ばす上で選手の未来像を具体的に思い描くことが大切です。指導者はとかく刹那主義に陥りやすく、その場の勝利に振り回されがちです。
その結果、小学生では小学生チームの優勝目指すがために選手の将来を考えての指導とはいえないようなハードトレーニングや精神的ストレスを押し付けてしまうことが多く、中学、高校、大学でも同様な傾向が見られ、その結果スポーツ障害や精神的燃え尽き現象が社会的問題になっていることは周知の通りです。選手の将来をしっかりと見据え、当面の勝利だけを求めるのではなく、選手にバレーボールを続けていく高い意識を植え付けられるような指導法がジュニア期には特に求められています。
更に礼儀や基本的生活習慣、集団行動やマナーは当面の勝敗とは無関係なように思えるが選手の未来を考えれば必ず役に立つ事であり特にジュニア期の指導カリキュラムには入れるべきものであると考えられます。